海風ヤンマ物語(1)

『海風とヤンマと笑い話の日々』

ー序ー
長い休みがまた来る。僕らは毎朝目が覚めると、一番にやることがある。朝の水汲みの手伝いやラジオ体操よりも先に。朝日は湾の向こうの長者岬の陰に、神々しく輝き朝焼けを広げてはいるが、まだその姿を見せてはいない。僕の家の裏山に朝露に濡れた小藪を掻き分けて5分ほど登ると、ぽっかりと拓けた「みどり場」がある。「みどり場」という呼称は、僕らが聖なる基地として合議して名付けたのだ。(その合議では「ウルトラガゴン基地」という名称が満場一致で一位であった。僕らは本当に喜んで「ウルトラガゴン基地」を僕らだけの秘密基地にしようと誓いあった。だが結局はいつの間にか二位の「みどり場」が市民権を得ている。「みどり場」の方が、隊長もいない、スーパーカーも無い僕らには、気楽に遊べる気がするからじゃないか、と僕は思っている)僕が今日のあそびの計画を考えながら「みどり場」にたどり着くと、大概はカズマが先に着いている。カズマの家は僕の家まで20分も離れているのに、決まって僕よりも5分は早いのだ。
毎朝、僕とカズマと、遅れてきた二人ほどを加えて、まずは朝日を、きちんと手を合わせて拝む。これは、僕のおじいさんのやっていることを真似ているのだが、やってみるととても気分が晴れやかになるのだ。みどり場の東の端の、椎の木の間に間に微かに昇る朝の光りは、まさに僕らの朝のご馳走だ。
それから、その日の遊びを何となく相談したり、一番の仕事としては昨日の仕掛けを見回ったりしてから、一旦それぞれの家に戻るのだ。カズマなど、それから鶏舎の仕事をこなさなければならないのだけど。

さてそれぞれの朝を済ませ、約束の場に集合して、今日の遊びが始まる。少年の一日は、長い。

僕らの夏は、輝いていた。
この物語りは、その夏のある事件を中心に、ほぼ一年間を追っている。海風が槙の葉っぱを揺らし、黒松の林を抜け、小学校のグランドに砂嵐を起こし、少年に手編みのマフラーを贈り、そしてみどり場を抜け彼方の吹上高原からの北風に絡んで、やがて明日の風に生まれ変わる、その大きな(僕らとしては)、透明な流れと共に。

こうして私の少年期、とりわけ五年生の一年間を物語りにまとめてみると、私は深い感慨に浸る。どのエピソード、どの一日を切り取っても、ふと思いを寄せれば、必ず心のどこかにあたたかい風が吹いてくる。十八の時、あの西海の漁師町を捨て都会に出て、美術大学に入学した。そしてまた別な青春を満喫したのち大学を卒業、若干の紆余曲折を経てファッション関係の出版社に務め、そこから当たり前のように忙しく働き、当たり前のように都会人として生き、ネオンの華やかな森を、いわば有頂天になって過ごしてきた。しかし、その華やぎの中で、ふと立ち止まると、私は背中のどこかに私をまた別な世界に繋ぎ止める何かを感じるのだ……。
私のあの頃の友達は、またそれぞれの違う青春を生き、またそれぞれの人生を生きている。もう彼らに会うことも多くはない。しかし共に過ごした少年期、溢れるほどの好奇心と友情の清流は、今の私のバックボーンになっているのは、間違いないだろう。
私にとってあまたの宝石より輝いていたあの日の彼ら……星霜を重ね今は大人となった彼らが、身体の芯に栄養として染み込んだあの日々を、時に思い出して今を生きてあらんことを願い、小さくて大きな物語りを始めようと思う。


プロローグ《槙の校長先生・春その一》

ぬしゃ、なんばしよっとか。こっちん、おりてこい。そぎゃんことしょって、また、あぶのうして。よういじゃなかばい。よかせん、おりてこいって。こっちこいって。わぁが、いっちょんわかっとらんもん。おりたちゃ、そぎゃんことせんばい、おとろしかろが。たっかとっからみよったって、なんもようなかろ。わが、あっちば、みてみんな。ほりゃ、どげもならんろが、おいたちん、ちからじゃ、どげにもならんじゃろが。ほんなこて、おげもんのごたる。もうよかって、おいが、ついとるせんかで、あんしんせろて。みんな、まっとるけん。おりてこんや、おりてこいって。

その時、向こうの瀬戸から風が吹いて来ました。春の潮風です。途中、漁師町の峠を越えて、大きな栗のあおあおした葉っぱを鳴らし、一面まるで小太鼓が転がるように若い水田の水面をざわめかせて、ようやくこちらに届いたのです。
その風が今、槙の木の頂上近くに上がったまま、下りられずいる、カズマの頬までひんやりさせました。
槙の枝陰に隠れた、カズマは頬をかすかにゆるめて、それからカズマの声が地上のボウたちのところへ舞い降りて来ました。

なんでおいがここにあがっとるとか、わかるとや。しんぱいせんでよかてん、ボウもここまでのぼってこんや。よかもんのみゆっとぞ。

時々、風は恐ろしいものです。かすかだったものたちが一度に集まって、槙の枝枝をがさがさと大きく揺らして、驚いたヒヨドリが落下して放物線を描きました。先ほどゆたゆたとひとかたまりに流れていた綿雲も、ひとしきりの風でちぎれ雲になってしまいました。春風はほの暖かさを、突然のように肌を刺すほどに冷たくしたのです。ぽっかり槙の枝先を見上げてようと、ボウの後ろにいた、いとこのカンスケが、突風に耐えられずに黄色いジャンパーの裾をひるがえして、堤の土手を転がりました。キョウコチャンが驚いて二三歩、追いかけました。ツンギィとノボルがはやしたてました。

おっちゃけた、カンスケのおっちゃけたばい。おかしか、おかしかぁ。ひよこのごたる。

樹上でも、笑い声がしています。

ふたたび風はイタズラを加え……ボウの同級生のサチコはひなぎく模様のスカートを押さえてあわてています。となりのリョウコといえば、サチコとおそろいであつらえてもらったスカートがさんざんにひるがえって、もうしゃがみこむしかありませんでした。リョウコのなんだか長過ぎる下肢は、カトンボのような長さで、普段から男子のからかいの的だったのですから、たまりません。

ひゃっひゃっひゃー、リョウコがカマキリになっとっと。カマキリのカマたい、リョウコっちゃら、はつかしかぁ。

なんね、なんねぇ。リョウコちゃんば、いじめっと、うちがゆるさんよぉ。ねぇ、サチコちゃん。

あっさあ、キョウコ委員長の怒りよらす。おそろしかぁ、ああおそろしかぁー。
(どうも男の子たちは、キョウコチャンにだけは頭があがないようですね)
あいやー、カラスもあっこのミッチャンちの屋根からおっちゃけたばい。ひどかぁー。
(うまくごまかしたようです)

カズマは笹舟のような槙の葉っぱにからまって、風の頂上にきちんと居すわっています。それからさわさわと風の声に合わせるように、竹ひご飛行機の話しを下ろしました。

おとつい、ボンニイのアカトンボが、あんまりとびすぎてしもて、校庭ばとびこして、わからんごとなったろ。ボンニイのゴムの、つよかっちゃん。おりゃ、たまげたばってん、そいでもみとったばい。ありゃ、かぜにのったもんね。じぇんぜんまがらんで、まっすぐいきよった。ボンニイはあわてよったばってんか。くすのきこえて、みえんごとなった。みんなでおいかけたばってん、あいは新記録たい。

木の下では、六人の子供たちが、またそれぞれの桟敷に陣取り直し、頚の痛いほど仰ぎ見ています。

ジョンもアカトンボに、はしっとったろ。おりゃ、スピッツはすかんとさ。きゃんきゃん、きゃんきゃんやかましかもん。
いっぺんな、おいはおいかけられて、おうじょうしたばい。犬っちゃ、にぐるとおいかけてくるっとさ。なんじゃろか、そんきゃ、おいはなきとうなったとよ。ばってん、そんときゃ、にげきったとばい。あいつはまっすぐしか、はしらんせん。おいは線路の土手をのぼるふりして、ゆーたーんしたもんな。そしたら、ジョンはいっさんに土手ば、かけのぼっていきよらしたと。おいはほっとして、わろてしもたとよ。

吹きわたる海風は、槙の全ての葉っぱを繰り返し繰り返し合唱団員にして、やがて田んぼの水にさざ波を描きながら、そこらじゅうの子供たちを、さわやかな気分にしました。もうすぐ夕焼けが始まります。

おいはね、この槙のとっぺんが好きと。もう何回も、上がっとる。しらんやったねぇ。学校もみどり場も、そりゃあ、おもしろかばってん、ここに上ると、また、違うとよ。なんやら、違う自分の見ゆっとよ。この、高っか景色が、そがんさすっとじゃろか。おいは、毎日失敗ばっかし、しよろ。先生の言わっさすことも、ようきかんもんね。なんでやろか、なんか、素直になれんもんね。昨日だっちゃ、カワチ先生に飛びついて怒られた。跳び箱のできんミヤば、無視しよらしたろ。おいは、ばかたい。先生に好かれとるボウとは、違うもんね。
そいでん、ほんとは、違う気のすっとよ。もうちっと、なんか、おいyの中にも、よかもんのおるっちゃなかろかって。ここにのぼっと、なんか、気分の良うなる。しもたぁって、反省もでくるし。そがん、気になると。そいで、また元気の出るっとよ。
あっちの、長者岬の姿も、いつもん姿と違うとよ、ここから見ると。うつくしか。
おかしかろ。おいが、こぎゃんこと、言うと。あはは、詩人じゃろ。
こん槙の木は、おいの、校長先生たい。

ほりゃ。

樹上から、槙の葉っぱの手裏剣がぱらぱらと、ボウとサチコのところへ飛んで来ました。どれも立派な十字手裏剣は、くるくる回って二人目掛けて降ってきました。カズマの槙の葉の手裏剣は、いつ見ても見事な出来栄えです。

ボンニイのアカトンボ、ここまで飛んどった。ほりゃ。
ボンニイに、渡してやろもん。

滑るように、見覚えのある竹ひご飛行機が槙の一番下の大枝をかすめて、きれいに下りてきました。

春の漁師町は、潮の香りと桜の花吹雪の中で、やわらかなパステルカラーの装いです。ボウたち、みどり場仲間が、カズマの新しい顔に出会えた一日。そしてボンニイの落胆も、これで終わりに出来るでしょう。





《広場の泥棒・春その二》

もう一つ、ボウたちがよく集まるところは、カズマの家から町道のだらだら坂を上り詰め、丘の上のキリシタン教会横の道を抜けて、種畜場を過ぎた先の十字路を右に折れて、海岸に向かって下る途中に栗の林の中に急に現れる、千畳敷と呼ばれる岩場の広場です。
ある春の日曜日、朝からみんなでその先の浮津海岸に下りて、ミナ採りに夢中になった帰り道、千畳敷で一休みしました。今日のそれぞれの大漁のミナを、それぞれおかあさんに甘く煮付けてもらうのが楽しみです。
まるで畳くらいな、平べったい玄武岩がいくらも広がって、まったく千畳敷の広場は、子供たちに楽しいくつろぎの時間をもたらします。春の日差しも心地好く、海岸から茅の葉をそよがせて、春風がみんなを少し眠くさせました。

ありゃ、おりのボラのおらんぞ。おらんごとなった、どっかいった。だれか、とったっちゃろ。

寝ぼけまなこで、ボウが振り向くと、岩畳二枚ほど先で同じく昼寝していたシンがあわてています。その声に、みんな起きあがりました。カズマもヒロもツカもレイチャンも、久しぶりに遊んだシェーも、女の子二人参加したヤスコとキョウコチャンも、みんなびっくりしています。
カズマがすかさず言いました。

なんば、いいよっとな。シン。ボラっちゃ、なんや。

俺の、ボラの、おらんごとなった。

なんばいいよっとな。だいたいが、ボラっちゃ、なんや。ボラなんじゃ、とっとらんろが。

うんにゃ、おりゃ、とった。

アホぬかすなよ、ミナば、とりよったとたい。

いんや、俺の網にボラの、いきなり、とびこんできたっとさ。

シンちゃん、夢でもみたか。いつでん、そうやろが。急に、とっぴょうしもなかこと、いいよろが。(レイチャンは、シンの親友だから、彼の虚言癖をよく知ってます)

いんや。いんや、ぜっさい、とった。ヒロ、わが、とったっちゃなっか。

じぁね、じぁね。ヒロっちゃ、手くせのわるかぁ。
(ひっかきまわすのは、きまって、ツカのしわざ)

なんば、なんばいいよっかぁ。おりゃ、泥棒しとらんぞ。ぬしが、とったっちゃろが。

なんで。あたしは、なんにも、ごぞんじありましぇん。

ちぇっ、わが、そがんいいぶりっときゃ、あぶなかたい。ツカの、にくたらしかねぇ。

おほほ、あたくしは、むじつでございますっちゃん。

ちぇっちぇ、ほんなこて、にくたらしか、くらすっぞ。
(ヒロったら、仲間内の一番の乱暴者ですから、ケンカになりそうです)

よかよか、やめんね。ミナのまずうなるぞ。
(シェーは、御大尽風にいさめます。)

次は副委員長のヤスコが、いさめます。

ケンカぁせんごと。松尾先生も長野先生も、いつも、いいよらすろが。シンちゃん、どがんくらいのボラやったと。

こんぐらいさ、こまかとばってん。

あいやぁ、そりゃボラっちゃ、いわん。雑魚たい。

ボウ、ボラはボラばい、おりゃ、今晩かぁちゃんと一緒に喰おうって、しよったとに。

ボラっちゃ、出世魚ぞ。こんまかボラなんぞ、喰わんほうが、ましさ。

また、ボウもカズマも、ひっかきまわさんとって。シンちゃんの、かわいそかろが。ヒロもツカも、いい加減におし。

キョウコチャンにたしなめられると、なんででしょう、みんな大人しくなります。

シンちゃん、よかたい。ミナなら、ぎょうさん採らしたろ。おかあさんな、それでじゅうぶん、喜ばすって。

キョウコチャンに誉められて、シンも少しは穏やかになりました。

ほう、あれば、みんな、見てみんね。あちゃあ、あいなら、しょうんなかばい。

カズマの指さす方を、子供たちは一斉に振り向きました。千畳敷の対角線上、立派なアカマツが防風林に一頭抜きん出て立ってあるのを、みんなもよく知っていました。その、相当上の方の枝先に、一羽のトンビがぴしっといずまいを正して、止まっていました。鋭いくちばしに小ぶりのボラをくわえて、そのトンビは鋭い眼を輝かし、下の広場の子供たちを睥睨していたのでした……。

それからまもなく、子供たちはミナのごほうびを手に手に持って、千畳敷から丘を下って、おかあさんの待つ家に帰りました。みんな口々に、ピーヒョロロ、ピーヒョロロと、鳴きながら。

以上が、春の日曜日の午後の、なんだか面白くて可笑しな想い出になった、「千畳敷の泥棒」の顛末です。


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