富岡の歌・除染の地にて

風哀し うまし土消ゆ 富岡の
五月除染の 畦の息吹きよ

いずこにか 居てよ若者 再生の
技を究めて 富岡に来ん

名はあれど 富のくにさと みまかりし
そう思う我 卑しきこころ

何故に何故 今此処に居る 道半ば
これが我なり 人でなしとも

分け入りし 現場と言うか 麗しの
みどり萌え出で 鶯歌う

今日こそは 想いはかろし 山返し
重き長靴 鬱し我が身よ

鵯の鳴き ふと止まりし オニヤンマ
ああ長崎の 少年を想う

ありがとう 土捨て花折り 作業せん
ご免ご免の こころ持て我

ひとときの 紫煙喜ぶ マスク取り
さてこの里山の 清めを成さん

風よ聴け 雉の鳴けるか 山泣くか
富岡は今 他日を期さん

道端の むくろ悲しや 猪ありぬ
甦りよや 願いて進む

剥ぎ取りし 山肌にまた 草萌ゆる
目に痛きほどに 美しきかな

我一本 澄みて満ちてん 富の空
枝を拡げて 葉を向陽せん

人の影 無しとも山は また萌え出ずる
静かに強し 富岡生きてん

五月雨の 朝 声のみぞ 痩せガラス
嵐は去りぬ 爪痕残し

子等いずこ ななつの子にも 負いてや見せん
海の広がり 山の広がり

みちのくに 富岡のあり 百とせも
豊穣の里 我も寄り添う

駆け下る 坂の途中に あな嬉し
春は姿を ほころばしあり

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富岡の歌・除染の地にて」への2件のフィードバック

  1. いつ どんなことがあっても 自然は 
    さりげなくそこに存在しているのだなあ
    と 思いました。
    懐広く 深く。

    長崎の原爆を受けた 植物たちも 
    その傷を負いつつも 
    逞しく美しく
    生き抜いています。

    その姿は
    現実に負けそうな私にも 
    大きな力を
    与えてくれます。
     

    • この歳になると(ジジくさいですねぇ・・・笑)身のまわりの、ほんのささいなことや、米粒みたいな路傍の花でも、なぜか立ち止まってしまう・・・ああ君たちは、そこにいてくれたんですねぇと、なぜか頭が下がる・・・とんでもなくわがままな私なのにねぇ。
      「少し私に、その強さをわけてくださいな。私もその自然の一部にしてくださいな。」
      (いつになったら、花の心が、草の心が、田んぼの土の、鍛えられた心が判れるんでしょ・・・空を見上げれば、どこまでも遠く深くあるし・・・ああ、ちっぽけな俺)
      でも、それでもなんでも、明るく自分の生を全うするしかありませんね。
      コメント、ありがとうございました(^^♪

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